ヘルスケアスタートアップが実践するデザイン思考:潜在ニーズを低コストで発見するユーザーリサーチ戦略
ヘルスケアテクノロジースタートアップの皆様におかれましては、日々の事業運営において、ユーザーの真のニーズをいかに捉え、限られたリソースの中で革新的なサービスや製品を生み出すかという課題に直面されていることと存じます。特にヘルスケア分野では、医療従事者や患者の方々が抱える課題は複雑であり、既存の枠組みの中では表面化しにくい潜在的なニーズを見つけ出すことが、持続的な成長と社会貢献の鍵となります。
本稿では、デザイン思考のアプローチを活用し、いかに効率的かつ低コストで潜在ニーズを発見し、これらを新たなサービス・製品開発へと繋げるかについて、具体的なユーザーリサーチ戦略を解説いたします。
なぜヘルスケア分野で潜在ニーズの発見が重要なのか
ヘルスケア分野におけるイノベーションは、単に既存の課題を解決するだけでなく、まだ誰も気づいていない、あるいは言葉にできていない課題を特定し、それに対する新たな価値を提供することで生まれます。顕在化しているニーズに対応するだけでは、競合他社との差別化が難しく、市場での優位性を確立することは困難です。
医療現場の多忙さ、患者の複雑な感情、既存システムの制約など、ヘルスケア特有の要因は、人々が抱える真の困り事を覆い隠してしまう傾向があります。表面的な要求の背後にある、深層的な動機や未解決の問題、そして「こうなったら良いのに」という漠然とした願望を掘り起こすことこそが、真にインパクトのあるソリューション開発へと繋がるのです。デザイン思考は、この潜在ニーズの発見に極めて有効なフレームワークを提供します。
デザイン思考における潜在ニーズ発見のアプローチ
デザイン思考では、「共感(Empathize)」のフェーズが潜在ニーズ発見の出発点となります。ユーザーの視点に立ち、彼らの置かれた状況、行動、感情、思考を深く理解することで、言語化されていないニーズや課題を洞察します。ここでは、限られたリソースの中でも実践可能な低コストなユーザーリサーチ手法をいくつかご紹介します。
1. 深層インタビュー(半構造化インタビュー)
対象者が自身の経験や感情を自由に語れるよう、オープンな質問を中心に進めるインタビュー手法です。特に、なぜそのような行動をとるのか、なぜそう感じるのかといった「なぜ?」を掘り下げることで、表面的な回答の裏にある潜在的な動機や課題を引き出すことができます。
- 実践のポイント:
- 対象者の選定: 典型的なユーザーだけでなく、極端なユーザー(例: 既存の医療システムに強い不満を持つ患者、非常に順応している医療従事者など)にも焦点を当てることで、幅広い視点と深い洞察が得られることがあります。少人数(5〜8名程度)でも、質の高いインタビューを徹底することで十分な発見が期待できます。
- 質問設計: 「〇〇についてどう思いますか?」ではなく、「〇〇の際、具体的にどのような行動をとりましたか?」「その時、どのように感じましたか?」といった、具体的な行動や感情に焦点を当てた質問を準備します。
- 傾聴と共感: 相手の言葉だけでなく、声のトーンや表情、ジェスチャーにも注意を払い、共感的な態度で話を聞くことが重要です。
2. 行動観察(コンテクスト調査)
ユーザーが製品やサービスを利用する、あるいは特定の行動をする自然な環境下で、彼らの行動を直接観察する手法です。インタビューでは語られない無意識の行動や、環境が行動に与える影響などを発見できます。
- 実践のポイント:
- 簡易的なフィールドワーク: 大規模な調査チームを組む必要はありません。短時間でも良いので、実際の医療現場や患者の自宅といったコンテクストを訪れ、ユーザーがどのように日常を過ごしているか、どのような課題に直面しているかを注意深く観察します。
- 非言語情報の収集: ユーザーが何に困っているか、何にフラストレーションを感じているかなどを、言葉ではなく行動や環境から読み取ります。写真や短時間の動画撮影も有効な手段です。
- シャドウイング: 特定のユーザーの行動に同行し、その一連の行動や体験を観察する手法も、深い洞察を得る上で非常に有効です。
3. 共感マップ(Empathy Map)の活用
インタビューや観察で得られた情報を整理し、ユーザーの「言うこと(Says)」「すること(Does)」「考えること(Think)」「感じること(Feels)」の4つの側面からユーザー像を具体化するツールです。これにより、ユーザーの潜在的なニーズやペインポイントが明確になります。
- 実践のポイント:
- チームでの共同作業: 集めたデータを見ながら、チームメンバーで意見を出し合い、付箋などを活用してマップを作成します。これにより、多角的な視点からユーザーを理解し、チーム内での共通認識を深めることができます。
- 「考えること」と「感じること」の深掘り: これらは直接語られない部分であり、潜在ニーズの宝庫です。観察や推測に基づき、仮説を立てて記述します。
4. ジャーニーマップ(Customer Journey Map)の活用
ユーザーが特定の目標を達成するまでの一連の体験を時系列で可視化するツールです。各タッチポイントでのユーザーの行動、思考、感情、そしてペインポイントや機会を明確にすることで、潜在的な改善点や新たな価値提供の機会を発見できます。
- 実践のポイント:
- 簡易版からのスタート: 複雑なツールを使わずとも、ホワイトボードや大きな紙に手書きで基本的なジャーニーを描くことから始められます。
- ペインポイントと感情に注目: 各ステップでユーザーがどのような困難に直面し、どのような感情を抱いているかを詳細に記述することで、深い洞察が得られます。
低コストで実践するためのヒント
スタートアップの限られたリソースを最大限に活用し、効果的なユーザーリサーチを行うためのヒントを以下に示します。
- 既存のネットワークを活用する: 共同研究先の医療機関、協力関係にある企業、社員の家族や友人など、既存の人間関係を通じてリサーチ対象者を探すことで、募集コストを抑えられます。
- オンラインツールを最大限に活用する: リモートでの深層インタビューにはビデオ会議ツール(Zoom, Google Meetなど)、簡単なアンケートにはGoogle FormsやTypeform、情報整理にはMiroやFigmaのFigJamなどのオンラインホワイトボードツールが有効です。移動コストや時間コストを大幅に削減できます。
- 「リサーチのMVP」を意識する: 大規模な調査計画を立てるのではなく、最小限の人数や短い期間でユーザーリサーチを実施し、そこから得られた学びを次のステップに活かすアジャイルなアプローチが効果的です。例えば、まず3名のユーザーに深層インタビューを行い、得られた洞察をもとに次のインタビューの仮説を立て直すといった反復的なプロセスを取り入れます。
- 学術的な厳密さよりも実践的な洞察を優先する: スタートアップの初期段階では、統計的な有意性よりも、ユーザーの深層心理や具体的な行動パターンから「なぜ」を理解し、製品開発の方向性を定める洞察を得ることが重要です。
結論
ヘルスケア分野における潜在ニーズの発見は、単なる市場調査を超えた、深い共感と洞察に基づくプロセスです。デザイン思考のフレームワークを活用し、深層インタビュー、行動観察、共感マップ、ジャーニーマップといった手法を低コストで実践することで、限られたリソースのスタートアップでも、ユーザーが本当に求めている、まだ満たされていないニーズを効果的に掘り起こすことが可能になります。
これらの実践的なユーザーリサーチ戦略を通じて得られた洞察は、ヘルスケアにおける新たな価値創造の源泉となり、貴社の製品やサービスが社会に真に貢献するための強力な土台となることでしょう。継続的なユーザー理解への投資こそが、ヘルスケアイノベーションを加速させる鍵となります。